Ein Tagebuch von Berlin

私的伯林日記
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クララとロベルトの物語4

ロシアへのクララの演奏旅行。鉄道がまだでき始めた当時の演奏旅行は馬車での移動が中心で過酷なものでした。ロベルトが34歳、クララが25歳であった1844年1月にベルリン経由でロシアでの演奏旅行に出発したクララとロベルトは各地を回り5月にようやく戻ります。

演奏旅行中、重い風邪の症状を見せていたシューマン。しかしその症状はその後、生涯に渡りロベルトを苦しませる精神病の兆候でした。

 

 

 

この演奏旅行でクララはピアニストとして大きな成功をおさめます。一方、当時の作曲家が「成功する」にはオーケストラ作品を書き聴衆に受け入れられるということが第1条件でした。クララと結婚したのち、今も傑作として残る歌曲や室内楽曲を生み出していたロベルトでしたが、まだこのころは交響曲などのオーケストラ作品はまだ少数しか作曲していませんでした。子供たちを授かった若い夫婦には収入が少なく、クララが演奏旅行に出ることが家族の収入源として必要になります。

 

 

 

ただ、演奏旅行中は「有名な女性ピアニストとその夫」という評価でロベルトは見られることになります。ロシアにおける文化や音楽、人々…それらはロベルトにとってとても興味深いものであったようなのですが、もともと神経が細やかであったロベルトにとって、旅暮らしと新しいものに出会うあわただしさ、そして「有名なピアニストの夫」としての評価はロベルトを疲れさせ、作曲家としてのロベルトを消耗させるものとなりました。

 

 

 

ロベルトはもともと文学的な素養があり、若いころから雑誌を主宰して評論を行っていました。シューマンが発刊した「音楽新報」はその後も長きにわたって続くのですが、ロシアから戻ったのちにロベルトは主筆の役を去ります。

 

 

温泉療法などを試みるもロベルトの症状は一進一退で、その年の12月にシューマン一家はライプツィヒを去り、ドレスデンへと居を移すことになります。



 

<ドレスデン、ゼンパー歌劇場>

 

 

 

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