私的伯林日記
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クララとロベルトの物語5

ライプツィヒとドレスデン。距離近い2つの都市は、それぞれ違った個性を持った街でした。ザクセン州の首都であった大都市ドレスデン。そして商業が盛んで、小さな街であったけれど裕福であったライプツィヒ。ライプツィヒでは特に書籍の出版と印刷業が栄えていたと言われます。市民が力を持ち文化的でもあったライプツィヒと、文化は王室と貴族のものであったドレスデン。市民にはまだ音楽を愛好する土壌がなく、王室や貴族とつながりのないロベルトとクララは当初、ドレスデンの音楽界からは蚊帳の外にいる状況にありました。

 

その中でロベルトはいよいよオーケストラ作品の作曲を本格的に始めます。ライプツィヒ時代に完成させていた1番に引き続き2番の交響曲を、そして「楽園とペリ」という独唱、合唱、管弦楽のための作品を書き上げます。新婚の頃に書いたピアノと管弦楽のための「幻想曲」に第2楽章と第3楽章を加えて「ピアノ協奏曲」として仕上げたのもこの頃でした。友人から引き継いだ男声合唱団の指揮者に就任し、混声合唱団も組織しました。作曲家としての名が少しずつ世に知られるようになっていきます。

 

 

 

 

ドレスデンでの暮らしの間にロベルトとクララは3人の男の子を授かります。結婚生活の中でロベルトとクララは全部で8人の子供たちを授かることになるのです。そのうちの長男であった子は悲しいことに1歳という短い生涯を終えることになります。ロベルトの病状もやはり一進一退で、作曲に集中しすぎると消耗してしまい状態が悪くなるということもあったようです。

 

 

 

クララは家族を支えながら演奏旅行に出かけることも続けていましたが、そのような中でドレスデンでは大事件が起こります。市民の反乱が起こり街の中は戦闘状態、クララはロベルトと子供たちを連れ、ドレスデンから少し離れた街へ避難します。

その時、クララは3人目の男の子を身ごもっていました。ロベルトに憧れていた少女クララは大人の女性へ、そして母へと成長していくのでした。

 

 

 

ロベルトと同時代を生きた作曲家、メンデルスゾーンはこのドレスデンでの反乱の約半年前に、そしてショパンは反乱の約1年半後に亡くなります。特に親しく支えあってきたメンデルスゾーンの死はロベルトにとって大きな痛手となりました。自分たちが引き継いできた音楽をあとへつなげてくれる作曲家…その人を発掘したい、その想いはロベルトの心に使命のように生まれるのでした。

 

 

 

 

 


 

 

 

<ドレスデン、フラウエン教会>

 

 

 

 

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